コレクションを未来につなぐ、
アーティゾン美術館の
使命と挑戦

前 アーティゾン美術館副館長
(現 長野県立美術館長)
笠原 美智子

No.01

ミュージアムタワー京橋内にあるアーティゾン美術館は約3,000点に及ぶ石橋財団コレクションを核としながら、その資産を現代そして未来に活かすため、さまざまな試みに挑戦しています。副館長の笠原美智子さんにお話をうかがいました。

笠原 美智子の写真

美術館の核はコレクション

アーティゾン美術館を語るうえで、石橋財団コレクションは欠かせません。

はい。約3,000点に及ぶ同コレクションは当館の核であるといえます。アーティゾン美術館の前身である旧ブリヂストン美術館は、 創設者・石橋正二郎が自身の所蔵作品を展示するため、1952年に自社ビルの2階に開設され、コレクションが一般公開されました。当初からコレクションは非常に大切だったわけです。

2022年の企画展「生誕140年ふたつの旅青木繁×坂本繁二郎」(2022年7月30日〜10月16日)では、同コレクションにとって重要なふたりの画家に焦点を当てました。

青木 繁と坂本繁二郎は、正二郎と同じ久留米市の出身で、石橋財団コレクションの出発点となった画家です。正二郎が恩師として慕っていた坂本から、早逝の画家であった青木のことを聞いて、作品の収集を始めることになりました。その範囲は結果的に日本近代洋画のみならず、印象派や古代美術、20世紀美術まで多岐にわたりました。例えば、印象派は戦後に作品が国外へ散逸してしまう状況を見かねて集めていったと言われています。

その後、正二郎1956年に財団法人石橋財団を立ち上げ、61年には自らの所蔵品の大半を財団に寄贈しました。それが同財団コレクションの源となり、世代を超えて現在に至るまで作品を収集しています。

作品の収集において重視していることは何でしょう。

ポイントは 、公立美術館のように美術史を網羅するような収集の仕方ではなく、プライベートなコレクションならではのトーン・ アンド・マナーがあるということです。まぁ、美術史を網羅できている美術館なんて、日本にはありませんが。当館の看板作品でもあるルノワールやセザンヌ、ピカソなどの絵画はよく知られていますが、アーティゾン美術館になってからは琳派などの日本美術や現代美術も集めていますし、これまで少なかった女性作家の作品も積極的に購入しています。良い作品が出たら購入するということもありますが、それも当館の特性を踏まえ 、財団コレクションの全体像にどう当てはめ、どういった価値を付加していくのかをよく検討しながら収集を進めています。

アーティゾン美術館の展示の様子

長い目での公益性を考える

展覧会では「ジャム・セッション」として、石橋財団コレクションと現代アーティストをかけ合わせる企画を定期的に開催しています。

まず、当館の名称が「ART(アート)」と「HORIZON(地平)」を組み合わせた造語であり、次代を切り拓くアートの地平を多くの方に感じ取っていただくため、現代美術やデザインなど、さまざ まなジャンルを取り入れていきたいという意向があります。そのうえで「ジャム・セッション」を始めた意味はふたつあって、ひとつは現代美術と組み合わせることで既存のコレクションに新 しい視点を与えるということ。もうひとつは、最前線で活躍しているアーティストとのコミッションワークを通じて、最新の作品をコレクションに加える、ということです。 ほかにも、世界最大の国際美術展であるヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館の帰国展。これは石橋正二郎が日本館を寄贈し、その後助成に力を入れてきた経緯があって開催しているものです。ちなみに私自身と財団とのご縁は、2005年 のヴェネチア・ビエンナーレで写真家・石内 都の展覧会を企画したとき、資金が足りなかったため飛び込みで門を叩き、支援をお願いしたのが最初でした(笑)。

笠原さんは長く公立の美術館に在籍していましたが、私立との違いは感じていますか。

正直な話、アーティゾン美術館に移ってからのほうが、公益性について本気で考えるようになりましたね 。本来、美術館の役割とは素晴らしい作品を集めて残し、それを未来につないでいくこと。ところが20年ほど前から公立美術館の予算がどんどん削減されるなか、入館者数を増やして「自分で稼ぐ」という方向に舵を切ったわけです。今や、お金のない美術館は作品の購入はおろか、展覧会もできないくらい疲弊しているのが現状です。アーティゾン美術館は長い目で人々にアートに親しんでもらうことを考え、実行しています。次世代を担う人たちに良いものを見てもらうために、学生は入場無料にしたほか、作品の解説をアプリで無料視聴できるサービスも始めました。まだどこもなかなか手をつけられていないのが作品のアーカイブ化ですが、当館では全作品をデジタル化し、そのデータベースをお客様に活用していただけるようさまざまなプロジェクトを展開しています。

入館者数も増えているのでしょうか

特に若い世代が増えています。学生は無料ということもありますし、現代美術のプログラムを取り入れていることもあるでしょ う。面白いのは、当館は3フロア構成なので、例えば、現代美術家の企画展を目当てに来館したお客様が、階下で印象派のコレクションを見て好きになったり、その逆もあるということです。通常、美術館では企画展とコレクション展が分かれていることが多いのですが、当館は3フロアをすべて通らなければいけないので、自分の知らない作家に出合うきっかけになっているんです。

アーティゾン美術館の館内の写真

ここで働く人にこそ活用してほしい

ビジネスパーソン向けにはいかがでしょう。ビジネスにおけるアート思考も注目されていますが。

ビジネスパーソンにとって、美術館という非日常の世界は、発想の転換や脳を休めるきっかけになると思うんです。アーティゾン美術館はミュージアムタワー京橋の中にある美術館として、ここで働いている方々にそのメリットをぜひ感じてもらい、活用していただきたいと考えています。ハード面では最新の空調設備や専用の照明を備えて、お客様に最も良い状態で作品を見てもらう環境を整えています。まずはオフィスフロアの下にこういう空間が あることを知ってもらい、来てもらうために美術館へのアクセスをよくしたほか 、MTK入居者は無料で展覧会を観られるようになりました。すごいでしょう(笑)。 また教育普及の面でも、旧ブリヂストン美術館時代から大人や子ども向けに多彩なプログラムを展開してきており、企業・法人向けにカスタマイズしたプログラムも、ニーズに合わせて提供できるようになっています。MTK入居者の方々を対象にした美術講座も開催を予定しています。

京橋という街との関わり方については?

京橋彩区エリアマネジメントの一員とし 、例えば彩区が主催する芸術文化講座に当館の学芸員が登壇していますし、隣接するTODA BUILDINGで進められる公募展の審査員を私が務めるなど、さまざまなかたちで京橋という街の文化貢献に関わっています。私自身、京橋で働きながら感じるのは、東京の中心にあるわりに静かな雰囲気を持つ街だということです。大通りから一本奥に入れば昔ながらのお店が立ち並び、ゆったりした時間が流れている。今後、地域との連携を深めていけたら、全国からお客様に来てもらえるのではないかと思っていて、そうした都市型美術館のよさを生かしていきたいですね。

取材

プロフィール

笠原美智子/1957年長野県生まれ。1983年明治学院大学社会学部 社会学科卒業。1987年シカゴ・コロンビア・カレッジ修士課程修了(写真専攻)。東京都写真美術館、東京都現代美術館学芸員を経て、2018年石橋財団 アーティゾン美術館副館長に就任。2024年4月から長野県立美術館長に就任。